「それでは、これから、便器係の二人に、便器の準備をしてもらいます」
空中を見つめたまま、菜乃はタイルの上に突っ立ったままだ。だが、そのことを気にするでもなく、優花は、取り囲む生徒たちにそう告げた。
「本当は、朝一番に行ってもらうのですが……」
そして、翔太と睦美の方へ向き返ると、こう続ける。
「学校に来てすぐとか、朝の部活の後とかに、クラスの便器……、えっと、御手洗さんを使いたい人もいると思うの。だから、二人には朝一番に来て欲しいわ。毎日、大変だと思うけど、大丈夫よね?」
その問いに、「はい」と答える二人。だが、当の便器……、菜乃には、なにも問いかけない。それは、少女自身が朝一番に来ることは、便器として当然のことと、優花が思っていることを示していた。
「植野さんは、女の子だから、ある程度はわかってると思うの。だから、今回は、男の子である武藤くんにやってもらった方がいいと思うわ」
「わかりました。武藤に、やり方を教えてあげればいいんですね?」
「そうよ。武藤くんも、きっと初めてだと思うから……」
そして、にっこりと微笑んだ優花は、翔太の方へと振り返った。
「……それとも、やったこと、あるかしら?」
その問いに、翔太は慌てたように、顔を横に振った。
そんな翔太の様子を横目で見ながら、睦美が呼びかける。
「それじゃあ、菜乃ちゃん。準備、始めちゃうね?」
だが、そんな声にも、菜乃はまったく反応しない。
「ねぇ、菜乃ちゃんてば。聞いてる?」
そう続けると、少し心配そうに見つめる睦美。
そして、心ここにあらずといった菜乃の様子に、翔太も心配だったのだろう。その言い方は、無意識のうちに、少し強めのものとなっていた。
「おい、御手洗。しっかりしろよ」
「ふぇっ……?」
菜乃は唐突に、変な声をあげた。だがそれは、少年の声に、少女が反応したことを意味する。
「大丈夫か、御手洗?」
「な、なに……?」
少しボーッとした表情で、それでもそう答えた菜乃に、翔太は少しホッとした表情を見せた。そして、それは睦美も同じだった。
「もう、菜乃ちゃんたら。心配しちゃうじゃない」
「ご、ごめん……」
少し混乱したような素振りを見せながら、菜乃はそうつぶやいた。少し舌足らずな感じでだ。
「いいの、いいの、気にしないで」
睦美は、そんな親友をいたわるように言うと、さらに続ける。
「それじゃ、準備、始めちゃうね?」
「準備……?」
「うん。菜乃ちゃんは、クラスの便器なんだからさ、さすがにこのままって訳にはいかないじゃん。だからさ、みんなに使ってもらうために、便器の準備をしないと」
にっこりと微笑みながら、事もなげにそう告げる睦美。
だが、それを聞いた菜乃を、ふたたび強烈な頭痛が襲う。そして、頭の中では、先ほどの言葉がふたたび反響していた。
――私は便器。
――私は便器。
――私は便器。
だが、そのことに気づく様子もなく、睦美は語を継いだ。
「さっきも言ったけど、菜乃ちゃんは便器だからさ、便器以外のことは、なにもしなくていいんだからね? 便器係の私たちが、全部やってあげるから」
そして、翔太の方へ振り返って、こう促した。
「ほら、武藤も、なにか言いなさいよ」
その言葉を受け、相変わらずの素っ気なさを見せながらも、それでも、翔太はこう告げる。
「……御手洗が、便器に専念できるよう、オレが……」
そこまで言って、睦美の視線に気づいた彼は、慌てて訂正した。
「オ、オレたちが、しっかりと、便器の準備してやるから……、その……、心配すんなって」
それは、その素振りとは裏腹に、やはり菜乃のことを思いやっている、そんなことを感じさせる言い方だった。だが、その内容は、とんでもないものであることは間違いない。
「で、でも……、便器……、私が……?」
混乱しつつも、かろうじてそうささやいた菜乃だったが、その声を優花が遮る。
「ほらほら、御手洗さんたら。便器係の二人を、あんまり煩わせちゃダメよ。それに、まだまだ、やることはあるんだから……」
そして、翔太と睦美の方へ向き返ると、こう言った。
「初めてだから、御手洗さんも、少し戸惑ってるだけだと思うの。だから、まずは、始めてしまいましょう?」
その言葉に、二人は頷いた。
「それじゃあ、菜乃ちゃん。まずは、上履きからね」
その言葉を受け、翔太が、菜乃の前にしゃがみ込んだ。睦美から、特段の指示はなかったが、それぐらいは彼でもできる。
菜乃は、ソールと爪先がエンジ色のゴムになっている、白いキャンバス地の上履きを履いていた。学年クラスと、少女の名前が、黒いフェルトペンで記されたそれは、もちろん、学校指定のものだったが、そんな、垢抜けない履き物を、少年は両方とも脱がせてしまう。そんな彼に対して、もはや菜乃は、されるがままだ。
「次は、靴下ね」
そして、中学生らしい清潔さを感じさせる、白いハイソックスも、同じように脱がされてしまった。今や、素足に直接、冷たいタイルを感じた菜乃は、身のすくむ思いだ。
幼なじみで大の親友だと思っていた睦美。そして、かつて自分を助けてくれた少年。そんな二人が、自分になにをしようとしているのか。菜乃には皆目見当がつかない……、と言いたいところではあったが、そうではなかった。あることに思い至ってはいたが、それは、彼女としては受け入れがたいことでもあった。
「次は、上着だけど……。武藤でも、これぐらいは、わかるよね?」
表情を変えないまま、それでもはっきりと頷いた翔太は、その手を菜乃へとのばしていく。
「や、やめて……。な、なに……、するの……?」
相も変わらず、頭の中で繰り返される例の言葉。そして、どこか思考が鈍ったような感じを抱きつつ、それでも、弱々しいながらも、なんとか抗おうとする菜乃。だが、そんな様子に、優花も翔太も、そして睦美も、キョトンとした表情を見せるのみだ。
「なにって……? もう、菜乃ちゃんたら……。菜乃ちゃんは便器なんだから、その準備をするだけだって、言ったじゃない」
そんな睦美の言葉に、翔太も頷いた。だが、だからといって、すんなりと「はい、そうですか」とは、菜乃には言えなかった。
「じゅ、準備って……、ど、どうして、こんな……」
またも混乱している菜乃に、今度は優花が答えた。いつもと変わらない、優しく、落ち着いた口調でだ。
「もう、御手洗さんたら。最初だから、しょうがないとは思うけど、そんなに緊張しないで……」
菜乃の視線を捉えた優花は、諭すように続けた。
「御手洗さんが着ているのは、入学の時に買ってもらった、新しい制服なんですもの。もし汚れちゃったら、大変でしょ? だって、ほら、御手洗さんは便器だから、そういうことも……、あると思うの。そうならないように、制服は脱いで、着替えちゃいましょうって、それだけのことなのよ。だから、安心して……、ねっ?」
その言葉を聞いて、菜乃は、なに一つ安心などできなかった。だが、なにをされようとしているのか、はっきりとした。そしてそれは、彼女が思い至りながらも、頭で否定していたことのようだ。
なにも言い返せないでいる少女を尻目に、翔太がふたたび動き出した。
そんな彼は、シングルイートンのプラスチック製ボタンを外し始めた。少し大きめの掃除用手袋をはめているため、かなりやりづらいものの、それでもほんの一分ほどで、四つすべてを外してしまう。そして、前が開けたそれを、睦美が後ろから脱がせてしまった。
「ブラウスも……、大丈夫だよね? 男子のワイシャツと、だいたい同じだからさ」
その言葉に、白い丸襟ブラウスのボタンを外し始める翔太。上着のそれよりも細かいボタンに、かなり悪戦苦闘していたものの、それでもすべてを外し終えると、その裾をスカートから抜いてしまう。そして、睦美が完全に脱がせてしまった。
「わぁ、菜乃ちゃんのブラ、かわいいっ!」
あらわとなったそれを見て、睦美が思わず嬌声をあげた。
「やっ……、み、見ないで……」
ささやくようにそう言った菜乃だったが、身動きを取ることができずにいた。それは、見えない力によるものだったのか、それとも、あまりに異常な状況に、萎縮してしまったためなのか、それはわからない。だが、あらわとなったそれを覆い隠すこともできずに、立ち尽くすのみだ。
そのブラジャーは、彼女の一番のお気に入りだった。そしてそれは、中学校入学に際して、母親にねだって買ってもらったものだ。それまでは、かぶりこむタイプのハーフトップを使っていた菜乃にとって、それは初めての後ろホックタイプのブラジャーだった。そして、それを身に着けた時、非常に誇らしい思いを抱いたものだ。自分も大人になったのだ……、と。
とはいえ、もちろん、大人用というわけではない。
綿混素材でできたそれは、ノンワイヤーで、そのカップにはやわらかくふんわりとしたパッドが仕込まれていた。また、成長に合わせて肩紐の長さが調整できるようになっていることからも、それが菜乃のような年頃の少女に向けたものだということがわかる。さらには、白地に、同じく白い糸でハート柄の刺繍が施され、両カップの間には小さなリボンまでもあしらわれている。そんなデザインは、思春期の少女にふさわしい、非常に愛らしいものだった。
そんなジュニア用のブラジャーを、翔太のみならず、男子を含めたクラスの全員に見られてしまっているのだ。少女は、消え入りたいほどに恥ずかしい。
だが、意外なことに、そんな彼女の思いに反して、誰もそのことを揶揄してはこない。
そして、唯一声を上げた睦美も、そのことには、それ以上は触れてこなかった。そして、翔太への指示を続ける。
「スカートは……。説明しなきゃ、ダメか……」
しょうがないね、といった感じでそう言った睦美は、菜乃の穿いているスカートのある場所を指さした。
「そこに、フックがあるから……、外して……。ファスナーも降ろして……」
そんな指示に忠実に従う翔太。その結果、支えを失った車襞スカートは、重力に従って、タイルの上へと落ちた。
「菜乃ちゃん、脚上げて」
スカートをどけるべく、そう指示を出した睦美に、思わず従ってしまう菜乃。
そんな彼女は、もはや、よくわからなくなっていた。とはいえ、自分に行われていることが常軌を逸していることは、十分すぎるほどに理解していた。にもかかわらず、何者かに動きを封じられたかのように、抗うことができずにいたのだ。
「わぁ、菜乃ちゃん、ショーツもおそろなんだね。かっわいい!」
あらわとなってしまった少女のそれを見て、睦美はふたたび、そう声を上げた。それは、彼女の言うとおり、ブラジャーとおそろいのものだった。同じように綿混素材で作られ、白地にハート柄の刺繍が催されたジュニアショーツは、正面中央部に施されたリボンも一緒だった。
そんな、年頃の少女としては秘しておきたい、そんなかわいらしい下着姿を、クラス中にさらしたまま、菜乃は立っていた。それだけでも消え入りたい彼女だったが、やはり動くことができない。
どうして、こんなことになっているのか……。その思いは、当然のように抱いていた。だが、それ以上に、菜乃の頭の中をあの言葉が支配している。
――私は便器。
――私は便器。
――私は便器。
そして、その言葉は、次第に、そして確実に、菜乃の心をむしばんでいたのだろう。彼女は、自分が一体なんなのか、確信が持てなくなっていた。