寂れているとはいえ、それでも温泉宿の大浴場です。こぢんまりとした感じではありましたが、それなりの広さはありました。
そこは、奥に向かって、縦に長い造りとなっていました。
入口側から向かって左側には、水と湯を混ぜて出すことのできる蛇口と、それに付随したシャワーが、いくつか並んでおり、そのひとつごとに、黄色い風呂桶と、同じく黄色い風呂椅子が置かれているのがわかりました。
その反対側、タイルの床を挟んだ対面には浴槽があり、中では透明な湯が揺らめいていました。そんな浴槽そのものは、床と同じタイル張りでしたが、壁側には岩が積み上げられており、その一カ所からは、湯が滝のように流れ落ち、しぶきをあげていました。
そして、湯煙の先、一番奥にあるガラス扉が、片側だけ開かれているのが見えました。それは、特に凝ったものではなく、ただのサッシだったのですが、上に掲げられた表示によれば、その外側には露天風呂があることがわかりました。
ですが、それ以外には、なにもありません。サウナすらなかったのです。そんな、造りの古さを感じさせる質素な浴場でしたが、それでも、鼻をつく硫黄の香りから、その湯は間違いなく温泉だということは確信できました。
そこには、想像したとおり、人の気配がありませんでした。もちろん、露天風呂そのものまでは見えなかったのですが、話し声もしないことから、やはり誰もいないのだろうと思われました。
そんな、静まりかえった浴場に入った途端、少女は不意に駆け出していきました。私たちを置いたままです。そのため、背中側とはいえ、何物にも覆われていない彼女の裸体が、私からもはっきりと見えたのです。
「ねぇ、お爺ちゃま。和人お兄ちゃん。滝があるよ」
決して、はしゃいだ声を出したわけではありません。話し方そのものは、相も変わらず、どこかはにかんだような、そんな雰囲気をたたえていました。それでも、振り返った顔からは、嬉しそうな表情が見て取れました。
「これこれ、瑠美や。風呂で走るでない。危ないじゃろうが」
そうたしなめながらも、そんな孫の様子に、老人も嬉しそうでした。
少女は、その滝をさらに近くで見ようと思ったのでしょう。突然、手にしていたスポンジを、二つともタイルへと放り出してしまいました。そして、湯船へ飛び込むべく、軽くジャンプをしようとしたのです。
「こらっ、瑠美。飛び込むでないっ」
その瞬間、老人の声があたりに響きました。怒鳴ったわけではありません。少しだけ強く叱責した、そんな感じでしたが、それでも少女は、その場で固まってしまいました。そして、俯いたまま、弱々しい口調でこう答えたのです。
「ご、ごめんなさい、お爺ちゃま……」
「まったく、瑠美は……。六年生にもなろうというに、いつまでも、子供みたいなことをしおってからに……」
素直に謝ったためなのか、老人の口調は、既に元の調子に戻っていました。
「それに、まだ体も洗うてなかろう……」
そう言いながら彼は、ゆっくりと少女の元へと向かっていったのです。
そんな二人をよそに、私は所在なげに、戸口のところに立ったままでした。祖父と孫娘のやりとりを前にしながら、腰に巻いたタオルにテントを張っている自分のことが、なんとも浅ましく感じていたからです。
「ほれ、和人くん。そんなところに立っとらんで、こっちに来んしゃい」
ですが、そんな私の気持ちには気づいていなかったのでしょう。少女の元へとたどり着いた老人は、私のことを呼び寄せました。あまりの居心地の悪さに、この場から出て行こうかとも考えていたのですが、名指しで呼ばれたのでは仕方ありません。
「ねぇ、和人お兄ちゃん。お風呂、大きいよね?」
「そ、そうだね、瑠美ちゃん……」
そばへとやって来た私に対して、嬉しそうに話しかける少女でしたが、やはり、まともに見ることができません。私の淫らな気持ちが、少女や老人にすっかりと見抜かれているのではないか……、そんな疑念が枷となって、行動を阻んでいたのです。
「ねえっ、お爺ちゃま。大きいよね?」
「あぁ、そうじゃな、瑠美」
「お家のお風呂より、ずっと大きいよねっ?」
「そうじゃとも、そうじゃとも……」
老人は、孫娘の様子がよほど嬉しかったのでしょう。彼女の頭を撫でながら、すっかりとえびす顔になっていました。
そんな和やかな二人の様子に、私はますます、いたたまれない気持ちになっていました。そうに違いはなかったのですが、その一方で、テントの張りは一向におさまる気配がなかったのも、また事実でした。でもそれは、健全な十六歳男子にとって、仕方のないことだったと思います。なにしろ傍らには、もはや子供とは言いがたい、第二次性徴を迎えた少女が、全裸で立っていたのですから……。
「のぉ、和人くん」
「は、はい……」
相変わらずの気まずさに、俯いたままでしたが、それでも私は返事をしました。
「儂らの家では、入る前にまず体を洗うんじゃが、それでいいかの?」
「は、はぁ……」
とりあえずはそう答えましたが、私にとっては、どちらでもよいことでした。
「ほら、瑠美。いつものように、体を洗うてからじゃ」
「はぁい、お爺ちゃまぁ」
彼女は、少し甘えたようにそう言うと、先ほど床に放り出したスポンジを取りに行きました。そして、再び戻ってくると、祖父にそれを差し出し、少しはにかみながらも、こう言ったのです。
「お爺ちゃま。瑠美のお体、きれいに洗ってください……」
三日後には十一歳の誕生日を迎え、十日ほどの内には小学校六年生となる少女としては、考えられないような発言だったかもしれません。ですが、風呂に入るにあたって、服を脱がせてもらうような彼女ならば、あり得ることだろう。その時の私は、そう思ったものです。
「やれやれ。ほんに、瑠美は甘えんぼじゃて……」
老人はそう言いつつも、別段驚いた様子もないことから、これもやはり初めてではないということがわかりました。
「じゃがのぉ、瑠美や。儂は、ここにのんびりしに来たと、さっきも言うたろう……」
そこで言葉を切ると、今度は私の方へと向き直して、続けました。
「悪いんじゃが、和人くん。もう一度、頼まれてくれんかね」
「えっ?」
「さっきも言うたが、毎度毎度では、儂も叶わんて……。だから、洗ってやってくれんかのぉ」
「お、オレが、ですか……?」
またもや矛先が向いてきたため、ひどく狼狽していた私でしたが、少女は特に気にもしていないようでした。
「和人お兄ちゃん。瑠美のお体、きれいに洗ってください……」
そう言って、スポンジを差し出してきたのです。
それを思わず受け取ってしまった私でしたが、困惑の度合いは、先ほど服を脱がせた時の比ではありません。
もしそんなことをすれば、少女の体を見ないというわけにはいかないでしょう。なにしろ、至近距離でスポンジを動かすことになるのです。どうしたところで、その裸身を見ずに執り行えるとは、とても思えませんでした。
そのうえ、そもそもどう洗っていいものか、まったく見当がつかなかったのです。女の子の服を脱がせたことすらなかったのですから、女の子の体を洗ったことなど、あるわけがありません。
そんな私の戸惑いに、老人は気づいたのでしょうか。それとも、服を脱がせたことすらない私が、体を洗ったことなどあるはずがないと、そういう推論に達したのかもしれません。いずれにせよ、安心させるような口調で、再び話しかけてきました。
「なぁに、和人くん。心配せんと、指示は出してやるからのぉ」
「そ、そうですか……」
口の中が乾くような、そんな感覚を抱きました。それは、先ほどまでのいたたまれない気持ちを押しのけるかのように、新たな期待が高まっていたためだったことは、否めなかったでしょう。
「い、いいの、瑠美ちゃん……?」
「和人お兄ちゃん。瑠美のお体、きれいに洗ってください」
再びそう言われて、ぺこりといった感じで頭まで下げられてしまった私は、ゴクリと唾を飲み込みました。
保護者たる祖父から頼まれ、本人からも頼まれたのです。そうであれば、断るという選択肢は、もはやないように思えました。
これから起こるであろう出来事に、私の期待が高まりました。それは、淫らな気持ちによるものだったことは、否定できません。その一方で、これはあくまでも、子供の体を洗ってあげるだけ、やましいことなどなにもないのだと言い訳をする、自分もいました。
たしかに、彼女が第二次性徴を迎えていることは明らかでした。ですが、そんな身体的成長に対して、精神的成長が追いついていなかったのでしょう。もともと甘えんぼということもあるのでしょうが、まるで羞恥心を感じていないように見える様からも、そのことがわかるような気がしました。
そして、祖父もまた、孫娘の身体的成長にもかかわらず、まだまだ幼い頃とまったく同じ存在のように思っているのだということも、なんとなく理解できました。だからこそ、まったくの赤の他人である私と一緒に、少女を男湯に入れることができるのだと思いました。
であるならば、私ひとりだけが、彼女の裸体に過剰反応しても、仕方がないようにも思い始めていたのです。