防災訓練期間中、女の子はバケツに用を足してください

最終話 女の子たちは全員……

「先生……、休み時間じゃないですが、花壇に行ってもいいですか? いつまでも、バケツの中に、オシッコや……、う、ウンチを入れたままだと、教室が臭くなっちゃうから……」

 純枝は、少し俯き加減に、囁くように、そうたずねた。耳まで真っ赤にしているが、それはそうであろう。なにしろ、自分の出した汚物が、臭いと言っていたのだから。

 そんな少女を見つめながら、美香はもはや、黙って頷くことしかできなかった。

 純枝は、教卓の上から、両手を使いバケツを下ろすと、右手でその取っ手をつかんで持ち上げる。右肩が下がり気味になっている様子から、中身の重さが想像できた。

 他の女子生徒たちは、一様にうつむき加減に、自らの席に座っていた。一方の男子たちは、バケツをぶら下げた純枝を、興味深そうに見つめている。

 その中を、少女は教室の引き戸を開けると、廊下へと出て行く。

 そんな純枝に声をかけるべく、無駄は承知の上で、それでも、一歩を踏み出そうとした美香。そして、その結果に驚いた。なぜならば、それができたためだ。

 再び動けるようになった美香は、あわてて、教え子の後を追った。

「や、山村さん……」

 昇降口へと向かう階段の手前で、美香は追いつき、純枝を呼び止めた。だが、何を話せばいいのか、とっさには思いつかない。

「いきなり教室でスカートとパンツを脱いじゃったり……、その……、ば、バケツに、お、オシッコやウンチ……、しちゃったりして……、あの……、だ、大丈夫、だった……?」

 結局は単刀直入な訊き方となってしまった。だが、お手本と称して、あのような痴態を演じてしまった純枝が、あまりにも気がかりでたまらなかったのだ。

「わ、私も、本当は……、は、恥ずかしくって……、し、死んじゃうかと、思いました……。でも、どうしても、やらなくっちゃって……」

 純枝は涙目になりながら、ぽつりぽつりと答える。

「こんなこと、あり得ないって、思います……。でも、こ、これが……、私の役割だからって、もう、どうしょうもないんだって……」

 純枝自身も、当然ながらに、わかっているのだ。自分が行ったことが、どれだけ恥ずかしくて、どれだけあり得ないことなのか。だが、そのことにどうしてもあらがえない、しょうがないことだということもだ。

 そんな純枝の言葉に、美香の頭は、疑問でいっぱいになった。

 先ほどの行為はもちろん、今回の訓練内容からして、どれほどれんで、どれほど理不尽なことなのか、それは考えるまでもないことだった。しかし、それは行われてしかるべきことなのだということは、純枝としても認めている。いや、認めているというよりも、あらがうことができないというべきなのだろう。

 それは、そんな行為を止めようとしなかった女子生徒たちはもちろんのこと、囃し立てていた男子生徒たちもまた同様なのだろう。そして、動作を封じられてしまった自分も……。

「でも……、これから一週間、私ひとりじゃありませんから……」

 その言葉に、純枝が最初に言ったことを、美香は思い出していた。女の子たちは全員、おトイレではなく、バケツの中に用を足すように……。

 つまり、クラスの女子生徒全員が、今日の純枝と同じような醜態をさらすことになるのだ。それが、思春期を迎えた、最も多感な年頃の少女にとって、どれほど屈辱的で、どれほど羞恥に包まれたことなのか……。

 美香としては、なんとかしたかった。かわいい教え子たちが、そんな目にあうことなど、断固阻止したかった。

 だが、それはどうやら無理なようだ。見えない力が働いており、おかしなことだとはわかりつつも、自分を含めた皆が、この状況を受け入れていたのだから。

 少しの沈黙が、その場を支配した。こんな状況で、何を言ったとしても、気休めにもならない。それはわかっていたが、それでも美香は、励ますぐらいのことはしてあげたかった。それが、いくら陳腐な言葉であったとしても……。

「あの……、なんて言ったらいいのか……。これから一週間、つらいこと、恥ずかしいこと……、いっぱいあるかもだけど……。山村さんだけじゃないから……、あの、がんばって……」

「はい、ありがとうございます……。先生も一緒に、がんばりましょう……」

 そう言って、ぺこりと軽くお辞儀をした純枝は、自らの排泄物を花壇に与えるべく去って行った。そんな少女の後ろ姿を見つめながら、美香は、未だ白昼夢を見ているような気がしてならない。

 自分は、いつから思い違いをしていたのだろうか……。女の子たちは全員と、純枝は言っていたではないか。そして、その女の子という言い方は、少女の立場から出た言葉のあやであって、実際のところは……。

 驚愕が背筋を凍らせていた。だが、やはり抗えないのだということを、美香はどこかで確信していた。