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第一章 目覚め

第一章 目覚め

 かすかな鳥の鳴き声に、ゆきは目を覚ました。だが、自分がどこにいるのかわからない。なんだか、頭の中にもやがかかったような感じがして、いまいち状況が飲み込めずにいた。
 自分はどうしていたのだろうか。たしか、放課後にトイレへとやってきたはずだ。それは掃除をするためだったが、もう一人の当番が休んだために、たった一人で行う羽目になっていた。仕方がなく、淡々とこなしていたが、一番奥の個室のみ汚れ方がひどく、そこは見なかったことにしてトイレを後にしたはず……。いや、後にしようとしたのだったろうか……。
 やはり、頭の中が濁ったような感覚に覆われ、はっきりとは思い出せない。
 それでも、背中でなにかにもたれかかるような格好で、立ったままの姿勢でいることはわかる。そして次第に、どこか暗く狭い場所に閉じ込められているのだということが理解できた。ちょうど目の高さあたりに三本のスリットが入っており、外からの光が差し込んでいた。
 そんな状況に、当然ながらそこから出ようと試みる。だが、うまくいかない。拘束されているわけではない。だが、手も脚も、そしてその他の部分も、自らの意思に反してピクリとも動かない。しかし、息などはできていることから、基本的な身体機能には特に問題はないのだろう。それと、まばたきをすることと、眼球を動かすこと、そして音を聞くこともできるようだ。逆に言えば、それぐらいしかできないためなのか、目と耳の感覚が異様に研ぎ澄まされているように感じる。
 どのくらい経ったのだろうか。かすかなチャイムの音がする。そしてしばらくすると、複数の人の気配を感じた。それとともに、話し声も聞こえる。それは、自分と同じぐらいの年齢の、少女たちの声だった。外の様子を確かめようと、スリットから覗こうとするものの、視点がうまく合わずにぼやけた光景しか見えない。
 しばらくすると、話し声がしなくなった。それとともに、人の気配も感じなくなる。そして、チャイムが鳴るのが聞こえた。
 再び静まりかえったその場所で、眼球だけを動かしながら、彼女は状況を把握しようと試みた。
 そこは、スリットから差し込む光のおかげで、漆黒の闇というわけではなかった。その場所は、自分の前側と左方向にはあまり余裕はないものの、右方向にはスペースがあるようだ。だが、そこには棚のようなものがしつらえられており、なにかが置かれている。そして、あらわとなっている右腕に、なにか木の棒のようなものがあたり、同じように露出した右の太腿には編み上げた紐状のものが触れ、なにかこそばゆい感じがする。その一方で、左腕に感じる感触から、自分がいる場所そのものは金属でできていることがわかる。
 そういえば、自分の格好はどんなだろうか。腕や太腿がむき出しになっていることはわかったが、裸などではないこともわかる。上半身には、なにか半袖の衣服を身にまとっていた。それはゆったりとした、あまり締め付けのないものだった。そして下半身には、なにかカサカサとした感触を抱く。そしてそれはさらに、なにかで覆われてでもいるのだろうか。腰の部分と脚周りに、なにかゴムのような締め付けを感じる。そして足元の感じから、おそらくは靴下と、学校指定の上履きを履いているのだろうということが推測できた。
 そんなことを考えているうちに、再びチャイムが鳴ったようだ。そして、人の気配を感じ、話し声が聞こえ、しばらくするとひとを感じなくなってしまう。そして、再びチャイムが鳴ると、あたりは静寂に包まれてしまった。
 楽な姿勢ではない。だが、不思議と体に痛みなどは感じない。それでも、なにもできぬまま、ただ時だけが過ぎていくことに、美雪の不安は増していく。いっそのこと寝てしまえればよかったのかもしれないが、神経が高ぶっているためか、それも叶わない。
 チャイムが鳴り、話し声とともに人の気配を感じ、やがて人がいなくなり、再度チャイムが鳴る。それを幾度繰り返しただろうか。それは、ほぼ一定の間隔に従っているように感じたが、そのうちの一回だけは、人の気配がする時間が長かったように思えた。
 次第に空腹感が募ってくるが、それはたいしたことではない。それ以上につらいのは、喉の渇きだった。口の中が粘りつき、喉が貼りついたような不快さを感じる。それはまた、それだけ長い時間が経過していることを意味した。
 再びチャイムが鳴った。しばらくすると、人の気配がした。また同じことの繰り返し……。そう思った彼女だったが、今度はなにかが違うようだ。話し声が次第に大きくなってくることに気がついた。それは、こちらに近づいてきているということを意味する。
「ねぇ、ホントにあるのかなぁ?」
 一人の少女の声が聞こえた。
「あるって言ってたよ。それを使えば、全自動でやってくれるんだって」
 もう一人、別の少女の声が聞こえる。
「でも、ホントだったら、超ラッキーだよね。すっごい楽できるってことでしょ」
「そうだよね。あたしたちが初めて使うらしいから、後でみんなにも教えてあげないとね」
 彼女たちは、自分が閉じ込められている場所の目の前まで来ているらしい。今では、話の内容がはっきりとわかる。だが美雪は、内容もさることながら、その声になにか引っかかりを感じた。それは、たしかに聞き覚えがあるような気がする。
 不意に、ガタガタという音と振動がすると、金属のきしむような音とともに、自らの前が開け放たれた。薄暗がりに慣れていた美雪には、外の光が強烈に思え、目がくらんだような感じがする。
「あぁ、これだよ、これ。ホントにあったね」
「すごいね。でも、結構大きいんだね」
 遮るものがなくなり、二人の少女の声が、直に耳に入ってくる。
「だから、掃除道具入れも新しくなってるんだよ」
「そうだね。昨日までの縦長の掃除道具入れじゃ、入んないもんね」
 掃除道具入れ。その言葉に、美雪はどこか合点がいったような気がした。金属でできた狭い場所。それはたしかに、掃除道具入れ、つまりは掃除の道具をしまうロッカーだと考えれば、しっくりとはくる。もちろん、なぜそんな場所に閉じ込められていたのか、それは別の話だが。
「でも、操作は難しくないの?」
「大丈夫だってさ。音声操作だし、始まっちゃえば、全自動だって言うから」
 美雪の存在をまったく無視したかのように話し続ける彼女たち。だが、それは自分について触れているのだといことは、なんとなくだがわかる。
「そうだね、ここにしっかりと、全自動って書いてあるもんね」
「だねっ。えっと……、『全自動便所掃除道具・ミユキ』だって」
 えっ? その言葉を聞いて、美雪は驚いた表情をした。いや、少なくとも本人は、驚いた表情をしたつもりだった。だが実際には、その顔は能面のように無表情で、ピクリとも動かない。
 便所? 掃除? ミユキって私のこと?
 だが、困惑している彼女をよそに、二人の会話は止まらない。そして、その声が誰のものなのか、美雪にはもはやわかっていた。
「便所だって……。トイレとか、お手洗いとか、もうちょっと言い方が……、ねぇ?」
「まぁ、でもそれが、コレの正式名なんだろうから、しょうがないよ。でも、ミユキっていうのはなんなのかな?」
「商品名とか愛称なんじゃないの。でも、女の子の名前なんだね……」
「だから、女子トイレにあるんだよ……」
 すっかりと明るさにも慣れた美雪の目は、そんな二人の姿をはっきりと捉えていた。紺色のシングルイートンに白いブラウス、そして紺の車襞ひだスカートを身にまとった彼女たちは、美雪のクラスメイト、あけまつだった。


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